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はじめに:文武両道とは何か
皆さんは「文武両道」という言葉を聞いたことがありますか?🤔
部活動と勉強を両立している学生を褒める時によく使われる言葉ですが、本当の意味での文武両道とは、単に「スポーツと勉強の両立」だけを指すわけではありません。
文武両道の本質は、身体と精神、行動と思考、実践と理論のバランスを取りながら、人として総合的に成長していくことにあります。
戦国時代から江戸時代初期にかけて、この文武両道を見事に実践した二人の武将がいます。それが宮本武蔵と上杉謙信です。
宮本武蔵は生涯60余りの戦いで一度も負けなかった剣豪でありながら、優れた水墨画を残した芸術家でもありました。一方の上杉謙信は、「越後の龍」と恐れられた戦国最強の武将でありながら、禅の教えを深く学び、詩歌を愛した教養人でした。
この二人の生き方には、現代を生きる私たちにも通じる大切な教えが詰まっています。今回のブログでは、約15分かけてじっくりと、この二人の「本物の文武両道」から学べることを探っていきましょう!✨
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宮本武蔵:剣と芸術の調和
⚔️ 生涯無敗の剣豪
宮本武蔵(1584年頃〜1645年)は、日本史上最も有名な剣豪の一人です。
武蔵が自ら著した『五輪書』によると、13歳から29歳までの間に60回以上の真剣勝負を経験し、一度も負けなかったと記されています。これは自己申告ではありますが、他の史料からも武蔵が数々の戦いで活躍したことは裏付けられています。
特に有名なのが、慶長17年(1612年)の佐々木小次郎との巌流島での決闘です。この決闘では、武蔵は遅刻して到着し、船の櫂を削った木刀で小次郎を倒したという伝説が残っています。
武蔵の強さの秘密は、二天一流という独自の剣術にありました。これは、両手にそれぞれ太刀と刀を持って戦う二刀流の技術です。当時としては非常に革新的で、一対一の戦い(一分の兵法)だけでなく、多人数での戦い(多分の兵法)にも応用できる実践的な兵法でした。
| 武蔵の主な戦績 | 年齢 | 内容 |
|---|---|---|
| 初陣(有馬喜兵衛戦) | 13歳 | 新当流の兵法家に勝利 |
| 吉岡一門との戦い | 20代 | 京都の名門道場との連続対決 |
| 巌流島の決闘 | 28〜29歳 | 佐々木小次郎を破る |
| 大坂の陣参戦 | 34歳 | 徳川方として参戦 |
しかし、武蔵の人生は戦いだけではありませんでした。むしろ、30歳を過ぎてから武蔵は「なおも深き道理」を追求し始めます。この時期が、武蔵の人生において最も重要な転換点となりました。
📜 『五輪書』に見る文武両道の思想
武蔵が晩年に著した『五輪書』は、単なる剣術の技術書ではありません。それは人生哲学の書でもあります。
『五輪書』は5つの巻から構成されています:
- 地之巻:兵法の基本原理と道の学び方
- 水之巻:心の持ち方と実践的な戦術
- 火之巻:先手の取り方と戦いの心構え
- 風之巻:他の流派との比較
- 空之巻:全体のまとめと悟りの境地
この中で武蔵は、地之巻の冒頭で文武両道を説いています。
武蔵はこう述べています:
武士は兵法の道を確かに会得し、そのほか武芸によく励み、武士の修行すべき道(文武両道)に精通し、心迷うことなく、心・意二つの心を磨き、観・見二つの目を研ぎ、少しも曇りなく、迷いの雲の晴れわたったところこそ、実の「空」を知るべきである。
ここで武蔵が言っているのは、学問と武芸、両方を磨くことで、あらゆる状況に対応できる人間になれるということです。
武蔵にとって文武両道とは、単に「剣術と学問を両方やる」ということではありませんでした。それは、多方面から物事を準備し、いかなる状況でも最善の選択ができるよう自分を磨き続けることだったのです。
また、『五輪書』の中で武蔵は、兵法を大工に例えています。大工が家を建てる時、一つの道具だけでなく様々な道具を使いこなすように、武芸者も様々な技術や知識を身につけるべきだと説いています。これは非常に合理的な考え方です。
🎨 芸術家としての顔
多くの人が知らないことですが、宮本武蔵は優れた芸術家でもありました。
武蔵が絵を描き始めたのは、寛永17年(1640年)、57歳の時に熊本藩主・細川忠利の客分として仕えるようになってからと考えられています。とはいえ、それ以前の姫路藩時代(30代後半)から、すでに水墨画を描き始めていたという記録もあります。
武蔵の絵画作品には、いくつかの大きな特徴があります:
🖌️ 減筆体(げんぴったい)
武蔵の絵画スタイルは「減筆体」と呼ばれます。これは、最小限の筆数で対象の本質を捉える技法です。無駄な線は一切なく、一筆一筆に意味があり、迷いがありません。
まるで剣術のように、余計な動きを削ぎ落とし、本質だけを残す。この姿勢は、武蔵の兵法思想そのものです。
🦅 自然への深い観察
武蔵は鳥や植物を好んで描きました。代表作の「枯木鳴鵙図」(こぼくめいげきず)では、枯れ木の先端に留まるモズ(鵙)が描かれています。
この絵の何がすごいかというと、静と動の緊張感です。
枯れ木の枝をゆっくり這い上る虫と、それを鋭い目で見つめるモズ。次の瞬間、モズが虫に飛びかかることが予感されます。まるで剣士が相手の隙を狙うように、獲物を待ち構える鳥の姿。そこには、均衡が破られる直前の張り詰めた空気が漂っています。
この作品は、武蔵の鋭い観察力と洞察力の賜物です。
🖼️ 武蔵が残した作品群
武蔵は絵画だけでなく、様々な作品を残しています。
『海上物語』という書物には、こう記されています:
武蔵は普段は家にこもって物作りをして過ごしており、鞍、楊弓、木刀、連歌、書、絵など、多くの作品を残した
具体的には以下のようなものがあります:
| 作品の種類 | 具体例 | 特徴 |
|---|---|---|
| 水墨画 | 「枯木鳴鵙図」「鵜図」「紅梅鳩図」など | 減筆体で本質を捉える |
| 書 | 様々な書作品 | 力強く、独特のリズム |
| 刀の鍔(つば) | 「海鼠透鐔」など | 機能美を重視したデザイン |
| 木刀 | 多数 | 実戦を想定した形状 |
| 工芸品 | 鞍、楊弓など | 実用性とデザイン性の両立 |
特に注目すべきは、武蔵が創作したデザインの高さです。
例えば「海鼠透鐔」(なまこすかしつば)という刀の鍔は、二つのナマコで挟んだようなシンプルなデザインですが、実用性も兼ね備えています。無駄を削ぎ落とし、機能を最大化する。これは現代のデザイン思想にも通じるものです。
武蔵の作品に共通するのは、徹底した機能主義と美意識の融合です。美しいだけでなく、必ず実用的な意味がある。これが武蔵流の芸術でした。
💭 なぜ剣術家が芸術に励んだのか
ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ、生涯無敗の剣豪が芸術活動に没頭したのでしょうか?🤔
実は、武蔵自身が『五輪書』の中でその理由を明かしています:
書画などの諸芸に関わることも、兵法を鍛錬する手段である
つまり武蔵にとって、絵を描くことや書を書くことは、剣術の修行そのものだったのです。
では、なぜ芸術が剣術の修行になるのでしょうか?
1️⃣ 観察力の向上
絵を描くためには、対象をよく観察しなければなりません。鳥の羽の動き、枝の曲がり方、光と影の関係。これらを細かく見る訓練は、戦いにおいて相手の動きを読む力につながります。
2️⃣ 集中力の養成
一筆に集中し、迷いなく筆を運ぶ。この精神状態は、剣を振るう時の心構えと同じです。雑念を払い、今この瞬間に全神経を集中させる訓練です。
3️⃣ 本質を見抜く力
減筆体の絵画は、対象の本質だけを抜き出します。何が重要で、何が不要か。この判断力は、戦いにおいて勝負の分かれ目を見極める力になります。
4️⃣ 心の平静
激しい戦いの人生を送ってきた武蔵にとって、芸術活動は心を落ち着かせる瞑想のようなものだったのかもしれません。
武蔵は50歳頃に「道に達した」と述べていますが、それは単に剣術が上達したという意味ではなく、武と文のバランスを取ることで、人としての完成に近づいたという意味だったのではないでしょうか。
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上杉謙信:義と学問の融合
🐉 越後の龍と呼ばれた男
上杉謙信(1530年〜1578年)は、「越後の龍」「越後の虎」と呼ばれた戦国時代最強の武将の一人です。
謙信は生涯70回以上の戦いに参加し、敗北はわずか2回という驚異的な戦績を残しました。その強さは、ライバルであった武田信玄すら認めるところでした。
信玄は死の床で息子にこう言い残したと伝えられています:
「甲斐国に何かあったら、謙信を頼れ」
敵であるはずの信玄が、最後に頼れる人物として謙信の名を挙げた。これは、謙信の人格と実力がいかに信頼されていたかを示すエピソードです。
謙信の強さの秘密は、いくつかあります:
⚡ 卓越した戦術眼
謙信は天才的な戦術家でした。特に有名なのが、第四次川中島の戦い(1561年)での「車懸りの陣」です。これは敵陣を次々と攻め立てる流動的な陣形で、武田軍を大いに苦しめました。
🙏 毘沙門天への信仰
謙信は、戦いの神である毘沙門天を深く信仰していました。自分自身を「毘沙門天の化身」とまで信じており、出陣の際には必ず毘沙門堂に参籠して戦勝祈願を行いました。
戦場では「毘」の字を旗印とし、「我は毘沙門天と共にあり」と口にして兵士たちを鼓舞しました。この強烈な信仰心が、謙信に揺るぎない精神力を与えていたのです。
💪 義を貫く姿勢
謙信は**「義」を何より重んじました**。私利私欲のために戦うのではなく、弱者を助け、正義を貫くために戦ったのです。
最も有名なエピソードが「敵に塩を送る」話です。
武田信玄が駿河国の今川家と関係を悪化させた結果、海のない甲斐国への塩の輸送が止められてしまいました。困窮する武田領に対し、謙信はこう言ったと伝えられています:
「戦とは正々堂々と行うべきである」
そして、敵である武田領への塩の輸送を続けたのです。この行動は、謙信の清廉潔白な人格を象徴しています。
🏯 幼少期の禅寺での修行
謙信がなぜこのような高潔な人格を持つに至ったのか。その答えは、幼少期の教育にあります。
謙信は1530年、越後国の守護代・長尾為景の四男(諸説あり)として生まれました。幼名は虎千代。
幼い頃の虎千代は、体の弱かった兄の晴景とは正反対に、非常に活発で乱暴な子供だったと言われています。親が手を焼くほどだったため、6歳(一説には7歳)の時、春日山城下の林泉寺に預けられ、修行を課せられることになりました。
ここで虎千代を教育したのが、林泉寺の6世住職・**天室光育(てんしつこういく)**でした。
天室光育は、幼い虎千代に対しても非常に厳しく指導しました。その教育の中心となったのが、**「十徳」**と呼ばれる教えです:
- 信心を益深す(信仰心を深める)
- 怨憎を漸減す(恨みや憎しみを減らす)
- 遊浮の心少なし(遊び心を抑える)
など、心を鍛える教えでした。
林泉寺での修行は厳しいものでした。早朝から夜更けまで、読経と座禅、学問と武芸の鍛錬に明け暮れる日々。特に越後の冬は厳しく、凍えるような寒さの中での修行は、虎千代の心身を鍛え上げるのに十分でした。
この7年間の禅寺での修行が、謙信を直截的で清廉潔白な人間に育て上げたのです。後に謙信が「義」を何より重んじ、常に正論を主張するようになったのは、この幼少期の教育があったからこそでした。
📿 「第一義」を掲げた理由
謙信には、生涯にわたって大切にした言葉がありました。それが**「第一義」**です。
謙信は自分の旗印にも「第一義」と書き、戦場でもこの言葉を掲げました。では、「第一義」とは何を意味するのでしょうか?
「第一義」とは、仏教の開祖ブッダが悟った万物の真理のことを指します。謙信は特に禅の教えを重視しており、この「第一義」という言葉も禅の思想から生まれたものでした。
謙信が「第一義」という言葉に辿り着くまでには、ある重要なエピソードがあります。
謙信の師である林泉寺の**益翁宗謙(やくおうしゅうけん)**和尚が、ある日謙信に問いを出しました:
「達磨大師が『不識』(ふしき)と言った意味は何か?」
これは禅の公案集『碧巌録』に載っている有名な話に基づくものです。
この問いの背景にあるのは、こういう話です:
5世紀にインドで生まれた達磨大師は、中国に渡って禅を伝えました。南朝の梁の武帝は仏教に深く帰依しており、達磨大師を宮中に迎えて尋ねました:
「私はこれまで多くの寺を建て、僧侶を養ってきた。どれほどの功徳があるか?」
すると達磨大師は答えました:
「無功徳」(功徳など無い)
驚いた武帝が「それでは、仏法の第一義とは何か?」と問うと、達磨大師はこう答えました:
「廓然無聖」(からりとして聖なるものなど無い)
さらに武帝が「では、私の前にいるあなたは誰か?」と尋ねると、達磨大師は:
「不識」(知らない)
と答えたのです。
この「不識」という言葉の意味を、益翁和尚は若き謙信に問いました。しかし、謙信はこの難問に答えられませんでした。
それ以来、謙信は寝ても覚めても「不識」の意味について考え抜きました。そして、あるとき、ハッと悟りを得たのです。
達磨大師が言いたかった真意は、こういうことでした:
「禅とは言葉の教えではない。心と心の触れ合いであり、尊いブッダの心を受け継ぐことである。真実の教えは厳然として、いつでも、どこにでも在る。それをもっともらしく見せびらかすものではない」
つまり、本当に大切なものは、言葉や形式ではなく、その本質にあるということです。
これを理解した謙信は、「第一義」という言葉を自分の生き方の指針としました。物事の本質、真理を追求し、それに従って生きる。これが謙信の信念となったのです。
⚔️ 戦場での強さと日常の信仰
謙信の強さの秘密の一つは、戦場と日常を貫く一貫した信仰心にありました。
謙信は春日山城に毘沙門堂を建立し、毘沙門天像を安置しました。そして、日々の読経を欠かすことがありませんでした。
出陣の際には必ず参籠して戦勝祈願を行い、戦場には毘沙門天を意味する「毘」の字や「刀八毘沙門天」を旗印として持参しました。
謙信にとって戦いとは、単なる領土拡大の手段ではありませんでした。それは**「神に代わって悪を討つ」という使命**だったのです。
第四次川中島の戦いも、義を貫いての行動でした。武田信玄が信濃国を侵攻し、領国化しようとしたことを「悪」と断じ、それを阻止するために謙信は5回も川中島で戦ったのです。
謙信の心の中には常に神仏を敬う気持ちがありました。これは単なる迷信ではなく、自分の行動を律し、正しい道を歩むための精神的支柱でした。
📚 文化人としての謙信
謙信は戦いだけの人ではありませんでした。彼は優れた文化人でもあったのです。
謙信は四書五経や国学を好み、詩を残すなど、「文武両道」を実践していました。生涯独身を通したのも、宗教上の理由と、学問や文化に打ち込む時間を大切にしたかったからだと考えられています。
謙信が詠んだ有名な詩があります:
「生不知死亦不知」
(私は生まれた時を知らず、まして、どうして死ぬ時を知ろうか)
この一節は、菊池寛も好んで色紙に書いたと言われています。人生の無常さと、それでも今を精一杯生きる決意が込められた言葉です。
また、謙信は内政面でも優れた手腕を発揮しました。
越後は青苧(あおそ)という衣料の原料となる植物の産地でした。謙信はこの青苧を栽培し、日本海ルートで全国に流通させ、莫大な利益を上げました。物産流通の精密な統制管理を行い、それを軍資金として活用したのです。
これは単なる商才ではなく、国を治めるための知恵と学問の賜物でした。
謙信は26歳の時、一族の反乱に遭い、自己嫌悪に陥って仏門に入るため高野山に向けて出奔してしまったことがあります。その理由は、常に正論を主張する謙信が、戦国の世知辛い家臣たちをまとめるだけの世間常識に疎かったためだと言われています。
しかし、家臣に連れ戻され、元のさやに納まった謙信は、その後も義を貫き続けました。
謙信は、ひらめきタイプの人間で、理詰めで家臣を説得するのが苦手だったのかもしれません。それでも、6歳から7年間の禅寺での修行が培った直截的で清廉潔白な性格は変わることはありませんでした。
二人の共通点:真の文武両道とは
ここまで宮本武蔵と上杉謙信の人生を見てきましたが、二人には驚くほど多くの共通点があります。✨
1️⃣ 若い頃の激しい修練
二人とも若い頃は、武の道を徹底的に極めることに専念しました。
- 武蔵:13歳から29歳まで60余りの真剣勝負
- 謙信:14歳で初陣を飾り、21歳で越後統一
この時期は、まさに「武」に全てを捧げた時代でした。
2️⃣ 30代以降の転換期
そして両者とも、30歳前後で大きな転換期を迎えます。
- 武蔵:30歳を超えてから「なおも深き道理」を追求し始める
- 謙信:26歳で出奔事件、その後より深く禅と学問に取り組む
この時期に、二人は単なる武人から、思想を持った文武両道の人間へと変化していきました。
3️⃣ 精神性の追求
二人とも、ただ強いだけでなく、精神性を深く追求しました。
- 武蔵:『五輪書』で空の境地を説く
- 謙信:「第一義」を掲げ、禅の真理を追求
戦いの技術だけでなく、なぜ戦うのか、どう生きるべきかという根本的な問いに向き合ったのです。
4️⃣ 文化・芸術への傾倒
そして二人とも、文化や芸術に深く取り組みました。
- 武蔵:水墨画、書、工芸
- 謙信:詩歌、四書五経、国学
これは単なる趣味ではなく、自分を磨く修行の一環でした。
5️⃣ 実践と理論の統合
最も重要な共通点は、実践(武)と理論(文)を別々のものとして考えなかったことです。
武蔵にとって絵を描くことは剣術の修行であり、謙信にとって禅の修行は戦いの糧でした。つまり、文と武は表裏一体だったのです。
💡 本物の文武両道とは
二人の人生から見えてくる「本物の文武両道」とは何でしょうか?
それは、単に二つのことを同時にやる能力ではありません。
本物の文武両道とは:
- バランス:偏らず、多面的に自分を鍛える
- 統合:別々のことではなく、一つの目的のために複数の手段を使う
- 深化:表面的な知識や技術ではなく、本質を追求する
- 継続:一時的ではなく、生涯をかけて取り組む
- 実践:知識だけ、技術だけではなく、実際の人生で活かす
武蔵と謙信は、この五つを完璧に実践した人物でした。
現代に活かす文武両道の精神
では、現代の私たちは、どのように文武両道の精神を活かせるでしょうか?🌟
戦国時代や江戸時代初期とは、社会の仕組みも価値観も大きく変わりました。しかし、文武両道の本質は今も変わりません。
📱 デジタル時代の文武両道
現代における「武」と「文」を考えてみましょう。
「武」=実践・行動・身体
- スポーツや運動
- 実務経験
- フィールドワーク
- アクティブラーニング
- プロジェクト実行
「文」=思考・学問・精神
- 読書や勉強
- 理論的思考
- 哲学や倫理
- アート鑑賞
- 瞑想やマインドフルネス
🎯 具体的な実践方法
学生の場合
| 武(実践) | 文(思考) | 統合の方法 |
|---|---|---|
| 部活動 | 教科の勉強 | スポーツ科学の本を読む、戦術を理論的に分析する |
| ボランティア活動 | 社会問題の学習 | 実体験を論文やレポートにまとめる |
| アルバイト | ビジネス書を読む | 学んだことを実際の職場で試す |
社会人の場合
| 武(実践) | 文(思考) | 統合の方法 |
|---|---|---|
| プロジェクト実行 | 専門書の学習 | 理論を実務に応用し、結果を分析する |
| ジムやヨガ | 健康・栄養学の勉強 | 科学的根拠に基づいたトレーニング設計 |
| 趣味の創作活動 | 美術史や技法の学習 | 学んだ技法を作品制作に活かす |
🧘 武蔵流・謙信流の現代的実践
宮本武蔵に学ぶ:
- 観察力を鍛える
日常の些細なことにも注意を払い、本質を見抜く訓練をする
(例:通勤電車で人々の行動を観察し、心理を読み解く練習) - 無駄を削ぎ落とす
仕事でも趣味でも、本当に必要なものだけに集中する
(例:タスクを整理し、重要度の低いものは思い切って捨てる) - 複数の視点を持つ
一つの専門だけでなく、異なる分野の知識を組み合わせる
(例:エンジニアがデザインを学ぶ、営業マンが心理学を学ぶ)
上杉謙信に学ぶ:
- 義を大切にする
短期的な利益より、長期的な信頼関係を重視する
(例:困っている同僚を助ける、不正には毅然と対応する) - 精神性を磨く
忙しい日々の中でも、心を落ち着ける時間を持つ
(例:朝の瞑想、週末の読書時間を確保する) - 学問を継続する
社会人になっても学び続ける姿勢を持つ
(例:オンライン講座を受講する、月に5冊本を読む目標を立てる)
⚠️ 注意すべきポイント
文武両道を実践する上で、いくつか注意すべきことがあります:
- 完璧主義に陥らない
武蔵や謙信も最初から完璧だったわけではありません。少しずつ、自分のペースで進めましょう。 - 形だけ真似しない
「武蔵のように絵を描く」ではなく、「武蔵のように本質を追求する姿勢」を学ぶことが大切です。 - バランスを取りすぎない
時には一つのことに集中する時期があってもOKです。長期的に見てバランスが取れていれば良いのです。 - 自分に合った方法を見つける
武蔵と謙信も、それぞれ違う方法で文武両道を実践しました。あなたなりの方法を見つけましょう。
おわりに:あなたも今日から始められる
長い記事をここまで読んでくださり、ありがとうございます!🙏
宮本武蔵と上杉謙信。二人の生き方から、私たちが学べることはたくさんあります。
最も大切なメッセージは、「文武両道は特別な才能を持った人だけのものではない」ということです。
武蔵も謙信も、最初から完成されていたわけではありません。若い頃の激しい修練、30代の転換期、そして生涯をかけた探求。長い時間をかけて、少しずつ自分を磨いていったのです。
あなたも今日から、自分なりの文武両道を始められます。
- 運動を始めながら、関連する本を読む
- 仕事のスキルを磨きながら、哲学書に触れる
- 趣味の創作活動に、理論的な学びを加える
小さな一歩でいいのです。大切なのは、バランスを意識し、継続すること。
武蔵が『五輪書』を書いたのは60歳を過ぎてから、謙信が「第一義」を理解したのも若い頃の修行があったからこそ。人生は長い旅路です。焦らず、しかし着実に、自分を磨いていきましょう。
この記事が、あなたの人生の旅路に少しでもお役に立てれば幸いです。✨
今日から、あなたも文武両道の実践者になりましょう!
📚 参考文献
本記事を執筆するにあたり、以下の文献を参考にさせていただきました。より深く学びたい方は、ぜひこれらの資料もご覧ください。
- 宮本武蔵『五輪書』から読み解く戦いの心得
https://www.idaten.vc/post/宮本武蔵『五輪書』から読み解く戦いの心得
『五輪書』の現代的解釈と、文武両道の精神について詳しく解説されています。 - 剣豪・宮本武蔵:その実像と『五輪書』に見る兵法思想 | nippon.com
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00689/
武蔵の生涯と、芸術家としての側面について史実に基づいた解説があります。 - 上杉謙信(1) – 佐久間庸和の天下布礼日記
https://tenkafurei.hatenablog.com/entry/20130603/p1
謙信の「第一義」の思想と、禅の教えとの関係について詳しく書かれています。 - 上杉謙信(うえすぎ けんしん) 拙者の履歴書 Vol.5 ~義の如く生き、龍の如く戦いたり~|デジタル城下町
https://note.com/digitaljokers/n/n588e68d2cbb6
謙信の生涯を本人の視点で振り返る形式で、幼少期の教育から晩年まで詳しく描かれています。 - 芸術家「宮本武蔵」を分かりやすく解説! | ARTFANS
https://artfans.jp/musashi/
武蔵の芸術作品について、画像付きで分かりやすく解説されています。特に「枯木鳴鵙図」などの代表作の解説が充実しています。
→→→ 文武両道をこよなく愛するrasuの「プロフィール」はこちらのリンクから! ←←←
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